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5. 葛生地区

ヒアリング調査

  • 天保年間に、台山の崩壊と大肥川の氾濫により水害が発生し、田が流出しました。

  • その後の用水路(写真1)の復旧工事の際、水神が祀られました。

  • 現在は弁財天を水神として祀っています(写真2)。

  • 弁財天の隣に天保2年と記された石碑がありました(写真3)。

​​写真1 水神近傍の用水路

​​写真2 弁財天

写真3 天保2年と書かれた石碑

歴史文献調査

 葛生地区には「天保2年」と記された石碑(写真3)が水神の隣にあり、前節で示したように、水神の建立は天保年間の災害に関係しているという証言が得られました。そこで、『福岡県近世災異誌』を使って1830年(天保元年)と1831年(天保2年)の災害記録を調べたところ、石碑に記された「天保2年」に現在の東峰村に隣接する豊前国や筑前国夜須郡で洪水が起こっていたことがわかりました。当時、夜須郡大塚村(東峰村の西側)では、新暦7月12日に洪水が発生して道路が分断され、大塚村の下流側の村々では堤防が決壊しました。一方、豊前国(東峰村の北東側)では、新暦7月3日と8日に大雨で洪水が発生し、9日~11日にも大雨が降って12日に洪水が発生しました。

 1831年(天保2年)の災害は、現在の東峰村が含まれる上座郡の記録にはありませんが、近隣の夜須郡大塚村や豊前国で大雨、洪水が発生したという記録があることから、現在の東峰村に相当する地域でも、当時の豪雨域の影響を受けて災害が発生していた可能性があります。従って、東峰村の葛生地区に祀られている水神は、前節のヒアリング結果も考慮すると、言い伝えとして残る天保2年当時の大肥川の氾濫と、その際に同時に起こったと推定される台山の土石流に関連していることが伺えます。

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